2017-03-16 第193回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号
ただいま先生から御指摘のありましたキャンプ・コートニーの道路というのは、昭和四十七年五月、沖縄の本土復帰時に提供施設・区域として米側に提供されまして、つまり米軍の軍用道路となっておりまして、同時に、米軍の活動を妨げない限り地元住民が使用することができるという、共同使用になっておる道路であると認識しております。
ただいま先生から御指摘のありましたキャンプ・コートニーの道路というのは、昭和四十七年五月、沖縄の本土復帰時に提供施設・区域として米側に提供されまして、つまり米軍の軍用道路となっておりまして、同時に、米軍の活動を妨げない限り地元住民が使用することができるという、共同使用になっておる道路であると認識しております。
それは何かというと、その当時、つまり復帰前の一九七二年までの沖縄県は、いわゆる軍用道路としてアメリカが道路をつくっていった。つまりは、戦車やトラックや、そういうものが一般道路から普通に移動することを目的につくられていて、それが結果的には、鉄軌道などの敷設が全く進まなかったということがあります。
軍用道路という十億ドルを上積みして、この比率を掛けたということになるわけですけれども、そのことによって約六億ドルが、ある意味ごまかされたと。この公電を信じるならばですね。しかし、政府として、税金を預かるという立場からすれば、こういうことがあったら、やはりこれはまずいですよね、どう考えても。事実であればですよ。
○福島みずほ君 八・三キロでわずかな中、インターチェンジ造って、米軍基地の前にある、これは軍用道路と地元では言われています。何のために使うのか、国民の税金のこの使い道に関して問題です。 総理、社民党は暫定税率を廃止すべきだと考えています。そして、別途、環境税をつくるべきだと考えています。
仮設宿舎と一般職員用住宅建設費八十億二千万円、占領軍用道路、飛行場など建設工事費三十五億二千万円、占領軍関係者が起こした交通事故補償金六億二千万円。政府予算は千八百四十五億円、うち占領費二一・六八%。 ちなみに、私の通った中学校は、この五年後に百万円で建設された。 こんな状況で戦後の日本は出発したのです。 本論に入ります。 以下、日経記事を使って述べます。こういう記事です。
○赤嶺委員 この三十年にわたる振計で格差が是正されて、産業の基盤も整備された、次は自立経済だ、こういうお話なんですけれども、三十年前の第一次振計を振り返ってみますと、例えば道路の整備にしても、米軍占領下は軍用道路でしたから、歩道もありませんし、側溝もありませんし、とにかく軍事優先という道路が沖縄本島を網の目で覆っておりました。
存在しますが、道路一つとってみても、軍用道路だったのが、まさに民間がきちっと歩けるように歩道一つつけていく、こういった形も、ソフトの部分も大分充実したんだろう、こう思います。 先ほど、大臣は格差是正の問題をお話しになりました。格差是正というのも、これは三次振計でも格差是正の問題は非常に議論なされた。
また、近くのノグチゲラ、ヤンバルクイナについては、「アメリカ海兵隊の管轄下に残された地域における軍用機のヘリパッド七カ所とそれらを結ぶ軍用道路の建設が、残存する最も重要な自然林地域において固有種の生息地の劣化を引き起こす危険があることを懸念する」と述べています。 その上で、日米両政府に対して、生存の確保を助ける措置を講ずることを要請しています。
この中で、基地建設予定地の今の山原の自然、これはヘリパッド七カ所とそれらを結ぶ軍用道路の建設が、残存する最も重要な自然林地域において固有種の生息地の劣化を引き起こす危険があることを懸念し、山原の世界自然遺産への登録を検討することを要請すると、アンマンの国際会議で決まりました。残念ながら、日本政府の代表はそのときに棄権をしているのですね。
それに沿って、復帰前で言えば軍用道路一号線、今の国道五十八号線を南下しますと、左の方には嘉手納飛行場、右には陸軍貯油施設、いわゆるガソリンタンク群、そして、やがてキャンプ桑江それからキャンプ瑞慶覧、普天間飛行場、牧港補給基地といった基地のフェンスが道路沿いに延々と続いているわけです。そして、ようやく那覇軍港の近くのこの会場に着くといった、こういうありさまです。
戦後の混乱期にかつての軍用道路、一般の車が走らないという前提の軍用道路を県道にしていったわけでありますが、こういった道路は私は全国に幾つかやはりまだまだ存在しておると思います。ぜひその状況について調べていただきまして、再発防止措置をとることができれば犠牲者をあらかじめ予防することができるというふうに思いますので、御要望しておきたいと思います。 それから、警察庁の方にお尋ねをいたします。
米軍が事もあろうに今ごろ大規模な戦車道なのか軍用道路を基地内へ新たに、新たにというか既存の道路をあのように自然破壊する形でやっている。なぜそのカラーが見えるものを持ってきたかというと、コピーをとったってその生々しい現象はわかりませんね、大臣。余りにもひどいじゃないですか。 復帰二十年ということで、できるだけ基地のこういった新たな動きというものはやってもらいたくないということをあれほど言った。
これがある道路に対してそこを、いつか何か私の方で道路計画があるときに、それは軍用道路だという反対をするグループもありましたが、道路があるのです。それをつくるのです。その道路を学生が通ればそれは通学路になりますし、ここを芸者さんが通れば観光道路か何か知りません、それはちょっと言葉は悪いかな、あるいはまた、本当に侵略されるということがありましたら、これは軍用道路になるでしょう。そういうことですよ。
道路も港湾も空港も上下水道も、米軍のための軍用道路、軍用港湾、軍用空港、軍用上下水道しかまともなものはなかったことを思いますと、実に目覚ましい発展ぶりであります。 この十五年の間にはこれら社会資本が急速に整備されたばかりでなく、本土各地との間の航空路や自動電話網なども整備され、県民の生活が一段と便利になってまいりました。
○上田耕一郎君 専門家はこの三宅に飛行場をつくるのは尾瀬に軍用道路をつくるみたいなものだと言っている。三宅にジャック・モイヤーさんというアメリカの専門家がお住みですけれども、彼は三宅はガラパゴス島だと、そう言っているんですよ。
それを見ると、1が毒物警告組織、それから作戦状況報告、情報報告、軍用道路交通規制、軍用車両標識、ずうっと挙がって二十六ぐらいある。それから一九八二年に制定されたFM一〇〇五「オペレーションズ」、先ほどちょっと言いましたね、「作戦」、これでは陸軍作戦に関係のある三十五のSTANAGが示されておるわけです。つまり標準化協定です、STANAGというのは。
○鈴木(強)委員 一面、私たちも質問をしておりましても、平和利用の問題、それから一たん緩急の場合との使い分け、道路が戦争になれば軍用道路になっていくという、事実問題としてはこういうこともありますね。だから道路をつくっちゃいかぬというわけにはいかぬわけですから、その辺はよくわかっておるのですけれども、やはり平和利用ということが核三原則との上に立っているということですね。
沖繩の舗初道路が軍用道路をそのまま名義がえをして国道にしただけである。いわゆる人間中心の道路ではなくして、基地中心の、軍事中心の道路をそのまま復帰の時点で国道に切りかえたのであります。ところが、それが着々と正しい、いわゆる指定によるところの国道の条件を備えつつありますわね。
したがって、そこに新農村という方針を持っていった場合に、どうも現地の人たちはベトナムの平定村と同じじゃないか、内戦にかかずり合うのではないか、軍用道路の問題もあります。道路建設をやっているわけですが、あれは軍用道路ではないか、こういう指摘がなされているように聞いておるんですが、その辺はいかがでしょうか。
それから、いまの構想に入ってない内環状と浦添の軍用道路の暫定使用でも返還でも結構でありますから、そういうものをやることが沖繩の抜本的な交通体系の整備になるわけでありますから、そういう問題についても御要請をいたしました。
そこで先ほども言いましたが、臨港道路からてだこ橋を通って、そして浦添の軍用地の道路がありますが、この浦添の軍用道路というものを開放されますと、臨港道路から貫いて非常に大きな動脈ができるわけで、御案内のとおり浦添もコザも全部那覇につながってしまってもう一つの都市であります。
また、軍用道路の問題については、これは所管官庁もございますので、私の方から防衛庁長官にきょうの発言の内容を率直に申し上げておきたいと思います。